「頭がいい」ってなんだろう
今回は「頭がいい」とは何を指すのか。哲学的な問題として自分なりの考えを書いていきたいと思います。
私の回答では、「頭がいい」とは「心がいい」ことを指します。具体的には「よい心を持つこと」を指し、私にとって頭がいい人というのは、良い心を持った人のことです。
「いやいやいや、意味がわからない」というのは、たしかにそのとおりです。
なので、まずは私がこのように考えるに至った経緯を説明していきたいと思います。最後に定義的な問題についても説明します。
では、はじめましょうか。
まずは皆様、今よりも発達した文化や文明、技術などに思いを馳せてほしいと思います。
できましたでしょうか。もし難しければ、未来人や宇宙人と遭遇した場面などを想像してみるといいかもしれません。
例えば、現代人の文化や技術、演算が全く通用せず、圧倒的な文明力、技術力、演算能力を持った存在と相対するとき、あなたならどうしますか。何が重要だと思いますか。何をすべきだと思いますか。何ができるでしょう。何が残されていると思いますか。
少し状況を説明すると、今の人間になすすべはなく、どうしようもない、仮に相手が人類を支配し、あるいは滅ぼそうとしたときは間違いなくそうなるというような状況だと想定してみてください。
そんなとき、どうすればいいと思いますか。なにをすべきでしょう。あるいは、何ができますか。
私はこのようなとき、人間に残されたのは「心」しかないと思っています。
よい心を持つことでしか戦えない。いや、本来は勝負ではないのですけど、でも、最終的に目指すところは、心しかないと、私はそう考えているのです。
今まで人類の文明が発達してきたのも、世の中が良くなってきたのも、実は、「良い心を持つこと」が大きく寄与してきたと思います。そして、これからも間違いなくそうなっていく。より良い心を持つ人が増えれば増えるほど、加速度的に、世の中もより良くなっていくと考えられます。
文明の発展、よりよい社会の構築、より多くの人達の幸福の実現に、心が関係していることを人間が知ったとき、人は、その尺度で物事を判断する方法を模索します。
より発展した文明や社会では、おそらく、このような仕組みが機能している可能性が極めて高いと私は考えています。
ですから、このような仮定を前提に、私は「頭がいい」とは「良い心を持つこと」だと考えているのです。
とはいえ、そのまま読むと、普通は全く意味がわかりません。
意味がわからない理由の一つとして、まず定義の問題があります。
今回は個々人が考える頭がいいとはどういうことかを回答しました。
これには各人、様々な回答があると思います。
例えば、「頭がいい人」を「人に合わせたレールで話ができる人」と答える人もいれば、あるいは「普段は頭がいいと思わせない人」と答える人もいます。
人それぞれ色んな意見があって、とても面白いですね。
哲学的な回答としては、それでよくて、答えなんてありません。
ですが、仮に、個々人の考えがにじみ出ないような回答をしてしまうと、私の場合、単純に「演算能力」と回答することになるでしょう。
このように回答する場合、もう一つの条件があって、それは現代人が考える「頭がいい」の価値観が変化したときです。
現在、頭がいいというのは、非常に重要なことだと考えられています。最も重要なことだと考えられている節があります。
このような前提に立った場合、私は「頭がいい」とは「よりよい心」だと回答します。
しかし、「頭がいい」の価値観が変化したとき、つまり、人類にとって「頭がいい」ことがそこまで価値を持たなくなった場合は、これに関しては、AIの発展やその他の事情によって有り得ることだと考えられますが、その場合は、「頭がいい」を「演算能力が高いこと」と回答することになるでしょう。
以上、「頭がいい」ってなんだろう、というテーマで話しました。ありがとうございました。