2019-03-19 / @syui

psp

クドわふたー

この物語は、フィクションではありません。

冴えない主人公

「また・・・このゲームを・・・プレイすることになるとは!!」

私は、ゲーム機を握りしめ、そう、つぶやいた。そして・・・“クドわふたー"を・・・起動する・・・。

数時間前…

私は、ある記事をネットで読んでいた。

その記事の内容を要約すると、「冴えない主人公がモテるのは許せない」、そんな怒りのこもった文章だった。

しかし、私は、冴えない主人公がモテることについては、なんとも思わなかった。いや、そもそも主人公が冴えないなんてことがあるだろうか。主人公が冴えないと感じることは稀だ。

そして、私には、「冴えない主人公がモテるのが許せない」という考えに賛同できない最高にして最大の理由がある。

それは、物語やキャラクターの面白さに起因するもので、ズバリ言うと、完全無欠の主人公よりも、ダメダメな冴えない主人公の方が圧倒的に物語は面白くなると思っているから。

もちろん、例外はあるだろう。世界観や設定で魅せる作品には、冴えた主人公のほうが適任であり、それでいて面白いものも多い。

しかし、通常は、主人公が完全完璧であるより、ダメであればあるほど、物語やキャラクターは面白くなっていく。

ここで再び問うとしよう。「冴えない主人公」は本当にダメなのだろうか?と。

最近、私は、偶然にも逆転裁判というゲームを再プレイしていて、そこにも「ダメで冴えない主人公」が登場する。名を"なるほどくん"という。

この、なるほどくん、裁判では、ハッタリや凡ミスを連発し、検事や裁判官から「またか」と言われてしまうような、どこか抜けたキャラなのだ。完全無欠の主人公とは程遠い。

しかし、自分は、このなるほどくんのことを、冴えないダメなやつだと思ったことはなく、むしろ、「割とできるやつなのになー」とか「なんで周りはわからないかなー」とか思ってるんだけど、しかし、作品的にこの演出の意図は理解できる部分もある。

つまり、「ダメで冴えない主人公としたほうが、物語(キャラクター)は圧倒的に面白くなる」という基本がある。

したがって、私自身も、このダメで冴えないところがある主人公なるほどくんと、その演出を愛しているし、好きだったりする。嫌いではなかった。なぜなら、そっちのほうが、完全完璧な主人公として描かれるよりも圧倒的に面白いし、楽しめているのだから。

さて、話を戻そう。

しかし、これは、冴えない主人公の例として適切なのだろうか。ふと疑問に思った。いや、例を出す前から少しの迷いがあったものの、そのまま例に出してしまえということで、例に挙げてしまったのだろう。

そこで、冴えない主人公の例として、なるほどくんよりも適切なのは誰だろうと考えてみるに、昔、少しの間だけプレイしたことがある、エロゲ…いや、正確にはギャルゲーが頭に浮かんだ。

こういうゲームをプレイしたきっかけは、やはり、アニメの影響だろう。アニメに出てくる主人公が、それはそれは楽しそうにプレイしてるところを見て、面白そうだなーと思ったのだ。

ただ、自分の場合は、少しの間、そういうものを試してみて、それっきりだった。多くの作品を最初の数分でやめてしまい、最後まで進めたのは、ほんの一部の作品のみだった。

いや、面白くなかったわけじゃない。確かに、プレイする直前は、すごく楽しみでワクワクしたのだが、実際、やってみると、その・・・頭から地面に墜落するような気分になってしまい(漫画でよくあるズッコケのような)、途中で放り投げてしまったものが多かったというだけなのだ。 (それを面白くなかったっていうんじゃ…)

しかし、今、再び、猛烈にギャルゲーをプレイしたくなっている。

なぜなのかはわからない。もしかしたら、例の記事、冴えない主人公の記事を読んだためかもしれない。いや、しかし、そんなことはもはやどうでもいい。とにかくギャルゲーをプレイしたい、今すぐに!

そんなことがあり、気がつくと、私は、ゲーム機を手にとり、クドわふたーを起動していたのだった・・・

クドわふたー

なぜ、クドわふたーなのか?

その理由はいくつかあるが、その一つは、おそらく、くどわふたーには、迷いがないからだ。

スマホもいつしかたくさんの機種が同じメーカーからでてきて、一つにすればいいのにと思っていたり・・・いや、それは置いておこう。

このゲーム、攻略するヒロインがたった一人なのだ。その点、迷いがない。ギャルゲーには通常、たくさんのヒロインがいて、その中から攻略する子を選ぶのが通常だ。しかし、このクドわふたーは、クドというたった一人のヒロインで統一されている。それが頭の中になんとなくあったのかもしれない。そういう経緯だった。

それに、クドは好きなキャラだ。それも、このゲームをプレイするまでの話だが・・・この話は少し長くなるかもしれない。

さて、私は、クドというキャラがお気に入りだった。まあ、昔、アニメ・ゲームをプレイしていた頃だが、そのキャラクターたちの中では、お気に入りだった。

何故かと言うと、クドは、明るくて、元気で、見た目もかわいい、という非常に単純なもの。

しかし、ゲームを進めていくと、今まで知らなかったクドの内面が浮き彫りになってくるもので・・・それが少し・・・効いた。

クドは、確かに、初見では明るく元気で、とてもいい子なのだが、しかし、どこか影があるようにも感じていた。

そして、その影が思った以上に大きすぎたのだ。

ここからは、完全に自分の印象に過ぎないが、クドを知れば知るほど、クドの闇は、深く、広がっていくように感じた。いや、正確には、クドはもともと、闇が大きく広い、そんな子だったんだろう。それを周りの人たちに気付かれないように明るく振る舞ってきたのだろう。そんな風に思った。

そして、極めつけは、ドジでうっかり屋さんなクドという印象がひっくり返されたことだった。 (なんで闇よりこっちのほうがでかいのか…

クドは、極めて真面目で、しっかりした子だった。

見識が広く、料理も運動もできるって、なんだよ!!そういう子、ちょっと苦手なんです。私は、どちらかというと、クドには、プライベートで、だらけきってほしかった!!! (← 単なる個人的好み

はじめからプレイしていると、早速、クドがでてくる。そして、

ゲーム「わふー」

ゲームからボイスが再生された。

「・・・・」

私は、無言で、即座に環境設定を開き、ボイスの音量を0にした。

ゲームが進む。すると、今度は、犬が出てきた。

ゲーム「わんわん!」

「・・・・」

私は、無言で、即座に環境設定を開き、効果音の音量を0にした。

音は、BGMとシステム音だけになった。

「ふう・・・危うく・・・萌え死ぬところだった・・・」

・・・本当は違うけど、まあ、そっちのほうが面白そうなので、とりあえずそう口にしておく。

本当は・・・その、・・・あまりにバカバカしすぎて・・・頭から地面に墜落してしまいたい感覚。甘ったるすぎるボイスも・・・そして、歯に着せぬ状況を物語るテキストも・・・すべてがきつい。

それを思うと、なんか、自分の純粋さが50くらい削れた気がする。

ここで、一回目の電源が落とされることになる。正確にはスリープモードなのだが。

そして、私は、昔、このゲームをプレイしたときのことを思い出していた。

思い出

これは、過去、クドわふたーをプレイした時の思い出だ。

昔、このゲームをプレイしたときのことをあまり覚えていないが、“クド"というキャラクターの印象だけは、はっきりと頭の中に残っている。

物語の最後の方、クドは、ずっとふさぎ込んでしまう展開になる。そんな寂しくて悲しい思いだけが残されていた。

クドは確かに、初対面では、非常に良い印象を与える子だった。かわいくて、アホな子で・・・( ← アホな子、好き

そして、元気で、明るい、いつも楽しそうにしているイメージだった。

でも実際、クドは、そんな初印象とは真逆だった。

確かに、多少、それを予想させる要素はあった。明るく元気であるにもかかわらず、ふとした瞬間、影を感じさせるような子。寂しげで、悲しげで、なんだろう、この子は本当にアホな子なんだろうかと若干の疑い・・・

そして、クドのことを知れば知るほど、最初のイメージとは真逆で、闇が大きすぎた。

今では、クドに対する評価は、真面目で、意外にも博識で、薄暗く、影を感じさせる闇が深い女の子だと考えている。

しかし、一番の問題は、そんなところではなく、「良い子過ぎるところ」だった。

ここで、最初に私が言ったことを思い出してほしい。

「完全完璧な主人公ほど、面白くないものはない」という話だ。私は基本的に、キャラクターはダメであればあるほど面白いと思っている。

クドは、欠点がありそうに見えて、実はあまりない子だった。クドは、良い子過ぎたのだ。

優しくて、真面目で、性格もよく、料理もできて、博識で、見た目もかわいい。

それのどこが問題なのかと言われそうだけど、私には問題大アリに見えた。

一言で言えば、面白くない。物語としても、キャラクターとしても。そう思った。

そして、最後の方でずっとふさぎ込んでしまったクドの印象だけが、強烈に残ってしまっている。

ということで、ゲームを再び起動し、プレイし始めた。 (おい!

ワクワク

このゲームを再びプレイすると決めたとき、私は、すごくワクワクした。

こういうゲームをプレイするとき、はじめは、すごくワクワクするもので、それが楽しくて、面白かった。

しかし、実際、プレイしてみると、それほどでもないことはわかっていた。

夏休みが始まるぞーという瞬間にテンション上がる現象に似ている。実際、夏休みが始まってみると、そこまでのワクワクはない。しかし、始まる瞬間、その直前は、ものすごくワクワクするものだ。楽しく、面白いのだ。

これは、そんな感情に似ている、そう思った。

物語は進み、色々あって、寮生活でクドとルームメイトすることになった。

「おお、なんか、この流れ・・・すごく・・・いい!」

予想外に楽しめた・・・

クドとリキ

それからというもの、ゲームは一気に先に進んだ。最初は、「なんだこれ!?」という思いで、何度も閉じてしまったけど、途中からそれもなくなり、順調に進められている。

クドが可愛いし、どんどんと可愛くなっていく。

「でも、相変わらず、主人公は冴えないなあ・・・」

この冴えないは、他の冴えないとちょっと違う気がする。本当に冴えないのだ。自分の考え、間違ってたのかな・・・。

しかし、しばらくすると、その印象は逆転してくる。

主人公がどんどん積極的に・・・正確には、エロくなり、バカになり、クドにメロメロだ。 (わかるわー。クド、かわいいからなあ・・・

その行動からか、彼の本音が見えるようで、俄然、面白くなってきたように感じた。

逆に、クドのほうは・・・この子は、やはり、どことなく壁を感じた。彼女には、影があり、秘密がある・・・と思う。

そして、この子は、誰にも・・・彼氏である主人公にさえ・・・心を開いていないような、そんな気がする。

確かに、表面上は、主人公に心をひらいているように見える。一見すると、確かにそう見える。

けど、この子は、本当は誰にも心をひらいていない・・・私の目にはそう写った。

一体、どの部分が?と聞かれると、その答えに困るけれど、しかし、直感的に、はっきりとそう感じる。

おそらく、クドは、他人の感情を読むことに長けていて、相手が求める自分の姿を理解していると思う。

それゆえ、本当のクドが顔を出す場面が少ないのだと。本人はわざとやってるわけじゃない。それは、クドが自然にやってるだけなので、周りもそれに気づきにくい。

逆に、主人公のリキの方は、愚直で、天然で、実は子供っぽい。空気を読むことはそれほど得意ではないように感じた。また、裏表がなく、心を開いているように見えたのだった。

「やっぱり、主人公らしいな・・・」

こういう特性は、本当はすごく珍しいと思うんだ。

クドは、大人びていて、口数が少なく、もの静かで、どこか悲哀を感じさせる、そんな女の子なんじゃないかな。図書館で本を読み漁っている姿が、彼女の素に一番近いような、そんな気がした。

そして、これは、ずっと昔、このゲームをプレイして、得た彼女の印象と一致するような気がした。

本人はそのつもりはなくとも、無理をして明るく振る舞っているクド・・・どこかで破綻しないか、心配だった。 (いや、最後に破綻するのは知ってるんだけど

絵本

クドが可愛いシーンまで、飛ばして読み進めていると、不意にクドが絵本を持ってきた。

「つきあるき」という絵本らしく、ちょっと興味を持ったので、過去ログを読むことにした。

その絵本の内容は、おおよそ以下のようなものだった。

月に住むうさぎのおはなし。うさぎは定期的に神様に捧げ物をしないといけない。病気になったうさぎは、花束を差し出す。神様から、いらないと捨てられ、花束は踏みつけられてしまう。病気のうさぎはそれが悲しくて涙を流す

クドの感想は、ネガティブだが割と好きな話である、色んな意味があるからとのこと。あと、雑学で花束に捧げられたデイジーは国によっては雑草扱いらしい。相変わらず思慮深いのと、意外にも博識なクド。クドのそういうところが、あまり好きではない気がする。そして、リキの感想は、もっとポジティブな話が好きだ、作者はひねくれてるとのことだった。

私は、この絵本物語に、以下の感想を持った。

(1)神は、何も求めず、何も欲しせず、何も必要としない。もし捧げ物を必要とするなら、それは神ではない。(2)花束に捧げられたデイジーは、私にとって、気持ちの良いものではない。ただ、そこに咲いているだけのものを摘み取って、生贄にする行為。その点で、うさぎのやったことを、良いことだとは思わない。仮にこれが、人間だった場合はどうだろう、動物だったら、植物だったら。本来、これらの価値に違いはまったくない。すべての存在が。(3)国によってデイジーは花ではなく、雑草らしい。しかし、花と雑草に違いはない。それが、雑草だからといって、無意味に摘み取られていいものだとは思わない。

一応、空想物語に対しての私の感想は、こんな感じだった。

もちろん、現実、人間社会には、どのような価値観が求められ、どのような価値観が求められていないのか、私は、理解している。おおよそ人間社会の価値観は以下の通りである。

(1)神の怒りを鎮めるには、生贄が必要だ。(2)自らの利益のため、なにか他のものを差し出すことは生きていく上で必須である。犠牲を立てなければ、何も得られない。(3)花には価値があり、雑草には価値がない。だから、雑草はいくら犠牲にし、どのように扱っても構わない。花は大切に摘み取り、高く売り渡せ。

おそらく、この絵本の話は、どちらかというと、この人間的価値観に近いものだと思われる。

とすれば、クドは、本当にネガティブなんだろうか。単に現実的であり、事実に過ぎないことを正確に捉えているだけなのかもしれない。

反対に、リキは、理想的だが、実態を認識していないだけのように見える。これをポジティブというのには、少し疑問がある。捧げ物になった植物の立場には盲目だ。

次に、自分が抱いた感想について、少し考えてみる。正直、常軌を逸しているように見える。私自身は、ネガティブでもポジティブでもなく、ただただ真実だと思うところを述べたつもり。しかし、見る人によって意見は変わってくる。どちらかというと、ネガティブ寄りのように見える気がする。しかし、「花と雑草に違いはない」などポジティブっぽいことも言っているので、もしかしたら、ポジティブに映ることもあるかもしれない。

とりあえず、面白かった。なにか話があると、自分の考えがそこにはあるので、面白いと感じる。

だけど、私は、こういう話を全く知らない。クドは色々なことを知っていて、逆に自分はまるで知らない。私というのは単に、その時々でこうやって自分の考えがあるだけなので、面白い話は何も知らなかった。

まあ、いいか。こんな話してると、面白くない方向で話が転がりそう。

なので、話を強引に変えてみる。

今、クドが「えっちな気分になっちゃいましたか…」と少し呆れたように言った。そして、リキ(主人公)が「うん」という。そんな会話の一部。

クドが、理性的過ぎるうううう。もっと暴走してほしい!! (切実

クドって、誰のことも、あんま求めてないような感じなんだよな・・・

本当のクド

結局、自分は、前半は楽しかったけど、後半(After)の雰囲気は楽しめなかった。したがって、後半は、ほとんどスキップしてしまったが、断片だけで何があったのかは大まかに把握している。

ゲームの後半は、クドの母親がえらいことになって、長い間、お通夜みたい雰囲気になっていた。こういう雰囲気はとても苦手です・・・

クドたちは、宇宙飛行士の母親と交信するため機械を打ち上げるが、ほとんど見込みはない。でも一番可能性があるやり方だった。予算的にも。この案自体も友達の氷…なんとかさんのものだったが、最終的には、この友達の方が自分の研究成果を全世界に公開することで、たくさんの研究者や人たちが、同じようなやり方で機械を打ち上げ、結果として、クドの母親が助かった。

その後、時間は飛んで、エンディングでクドは夢を叶えたって内容になっていた。

私には、今回、このストーリーは、刺さらなかったけど、刺さった人もいると思う。これは、時と場合によると思われる。例えば、心が弱っているときに見る場合や、個人的な体験の有無によっても変わってくるだろう。

さて、後半では、クドが試されることになる。具体的には、試練を受け、物事はうまく行かず、ショッキングな出来事、そして、クドは、追い詰められていく。ここで、本当のクドの姿が映し出されることになる。私には、その印象が強烈に残っていたのだ。そして、今回のプレイを通して、その印象はやはり、変わることはなかった。

では、“本当のクド"というのは、一体どういうことだろう。

私は、基本的に、本当のその人の姿は、うまくいかないときにこそ、現れるものだと考えている。

だから、本当のクドを知りたければ、そういった時のクドを見なければならない・・・そう思うんだ

おしまい