憲法の私人間効力など
前回、(1)憲法は国王の権力を制限するために考えられた、(2)法解釈は条文が明確であっても、それが多くの人の幸福につながらないなら意味を読み替えて解釈されることもある、みたいな話をしました。
それと関連がありそうなのが、憲法の私人間効力の話です。法学という名の法の解釈学において「なぜ法を解釈するのか?」ではなく「どのように法を解釈するのか?」という話になってきます。ただ、なぜ法を解釈するのかという理由については、法解釈する上では通常、その都度説明しなければならないので、一応、まずはそれについて説明します。
簡単には、憲法は本来的には国家権力を制限するためのものですが、それが私人間(例えば民事訴訟)の紛争解決に使われる場合があります。理由としては、私人間でも人権侵害があれば、憲法を適用しない理由はないというような感じです。法の目的は「個人の尊重」であり「多くの人の幸福」ですので、自然にそうなります。ここまでは前回も説明した話でしたね。
ここからが「どのように法を解釈するのか?」という話になってきます。
憲法を私人間の紛争解決に使用すると言っても、そのまま憲法を直接適用するといろいろな不都合(例えば、人権は現時点ではあくまで権利ですが、それが義務になってしまうなどの不都合)があります。よって、これを間接的に適用するという手法を採用することになります。
では、どのように私人間の紛争解決に憲法を間接適用をするのかというと、民法90条などを利用する事が多いです。民法90条(公序良俗)の条文を知っている人は多いと思いますが、このような条文に憲法の趣旨を取り込んで解釈・適用することによって紛争の解決を図ります。
これが、憲法の私人間効力の話になります。特に、「なぜ法を解釈するのか?」の理由のうち、妥当な結論を導くためという理由がそれに当たります。条文がそこそこ明確であっても(これが不明確な場合はもちろん、法解釈が必要になります)、妥当な結論が導けない場合には、このような手法が採用されることがあります。
これは会社法とか他の法律とかでも同じですね。まあ、会社法自体、民法の幾つかの条文の趣旨を持ってきて解釈、適用することも多いのですが。
ただ、注意点としては、上記の説明はあくまで例外的なものです。
他の条文を使っても説明が困難であり、かつ妥当な結論が導けない場合に限り、このような方法で法の解釈がなされることも稀にあるという感じの話なので、あまり一般的なものではありません。
以上