2017-02-27 / @syui

study

当事者主義など

当事者主義

これは民事訴訟でも刑事訴訟でも同じなのですけど、裁判というのは、大抵、当事者主義を採用しています。当事者というのは、訴えまたは訴えられることによって判決の名宛人になる人のことです。

ここで、当事者主義というのは何なのかというと、紛争は当事者間で法的に解決すべき問題だという感じのものです。

例えば、翻訳結果の使用に関しての権利主張があったとして(権利主張があるまでは法的な問題は発生しない)、それは、第三者が当事者に向かって法的主張を行う問題ではなく、あくまで権利を侵害された者が、その権利を侵害したとされる者、被告(人)に対して訴訟を提起し、その権利の回復を求める問題なのだと思います。

なぜ当事者主義が採用されているのかというと、例えば、刑事訴訟では当事者が真実究明に熱心であること及び、裁判所や第三者に主導権を与えても、裁判所や第三者の負担が増大するだけでなく、真実の発見が遠のくのではないかと考えられているからです。刑事訴訟の目的の一つは真実の発見であることから、そうなっていますが、しかし、その根拠は、一部で民事訴訟にも通じるものではあるんじゃないかなーと思います(そう感じるだけ)。

次に、当事者主義と少しだけ関連しているかもしれない(と個人的には考えるもの)、私の基礎的な考えを述べていきたいと思います。

法律は人間ができることを書いたルールブックではない

また、法律やライセンスの基本的な概念について勘違いしている人は多いかもしれませんが、これは「人間がやってもいいこと」を規定したものでは基本ありません。

「やってはいけないこと」をその自由保障の観点から(具体的には憲法ということになりますが)、厳格に審査し、一定の条件を満たした場合のみその権利主張が認められるというものです。基本的には。

つまり、こと日本やアメリカ、その他の先進国においては、「人間は法律に書いてある通りのことしかできません」というものではなく、「人間は自由です(憲法の自由主義)。ただし、法律において公共の福祉などのため、一定の制限があります」というものだと考えられています。

これは、あらゆる法律やライセンスにおける初歩的な原理であり、概念の一つです。

そして、もし法律などが、人間がやっていいことだけを規定したものなら、第三者からの主張によって、多くの人の自由が阻害されてしまう結果になるおそれがあると思います。

つまり、当該事案が当事者の対立で、かつ、本人たちは対立を望んでいないにも関わらず、周りの人たちである第三者が「Aさんは法律に書いてある以外のことをしている」と主張し始める可能性が考えられるからです。この場合、日本は法治国家ですから、当然ながら法律に書いてある以外のことをしていた人がいるならば、それを取り締まらなければいけないことになるでしょう。たとえ当事者が対立を望んでいなくてもです。これは憲法の基本原則にも反するものであると考えられます(日本、アメリカ同様に)。

ここで、ライセンスの問題はそれらとは全く別の問題と考えられるかもしれませんが、根本的な部分では変わりません。それは法的手続きに沿って主張されるべき問題であり、かつ法律の強行規定や他の条文との兼ね合い、また当事者の違反の度合いなどの個別的事情などを総合考慮され、厳格に判断される問題だと思われます。つまり、「規約書に書いてあれば、それが裁判で絶対的に認められる」というわけではないです。

このように、「法律に書いてあることしかできない世界」と「法律に書いてあること以外は自由な世界」では現在採用されている当事者主義の概念も大きく変わってきてしまうのではないかなと(適当)。

簡単に訴えられる

今の世の中、誰しもが訴えられる可能性を秘めていると考えられます。つまり、訴訟リスクをゼロにすることは難しいのです。

なぜなら、人が活動すれば、それは他人の人権を侵害することにもつながるからです。よって、常に紛争の危険があります(紛争を法的に解決するのが司法の役割です)。

ただ、ちょっとしたことで簡単に訴訟を提起されたり、または損害賠償を払わせられたりすると、それは社会の混乱につながり、裁判所の負担も増大してしまいます。

そのため、訴訟の提起自体に様々な要件があり、それが一つの関門としてあります。紙を描いて裁判所に提出すればそれで訴訟を提起できると考えている人が多いのですが、実際問題、事はそう簡単なことではないと思います。

訴訟の提起に関しては、例えば、当事者適格や訴訟要件などを備えている必要があったりします。このように、一定の要件を備えて初めて訴訟を提起することが可能になります。これは、裁判所の負担を軽減し、無駄な訴訟を減らし、または被告(人)の早期開放のためのものですが、裁判所には、このような手続き的な機能があります。

何かあった時に「訴えてやる、損賠賠償だ!」と言うのは簡単かもしれませんが、裁判所は無駄な訴訟を減らすなどのため、当事者適格や訴訟要件などを厳格に審査し、それらの条件を満たしている場合に限り訴訟が開始されるようになっています。

そのため、確かに訴訟リスクはゼロではありませんが、訴訟の乱用や乱発を防ぐための法律(主に手続法)が幾つかあるので、そのリスクを過剰なまでに考慮すべきではないのかもしれません。と私はそんなことを思いました。

以上

(ストック切れかけていたし、ついでに同テーマで適当に続けていこう…)